西郡33観音霊場巡礼日誌 二番 金沢山隆厳院


1.調べている人 最初の回で(不慣れで二回upしたようですが)、白根桃源図書館で観音霊場について調べたと書きましたが、多少詳しく説明していただきます。検索に日ヒットしたのは「全国三十三カ所観音霊場および全国八十八カ所霊場ご詠歌集」と「全国三十三所集録(甲信越編)」でした。

 前者は、縦31センチの大型の本でページは221,025ページと大部な本です。武石伊嗣/著、武石万里子/編とありますので、共著なのかご親族で著者が編者のサポートを経て出版したのかと粋察されます。想像の範囲ですが、畢生の大事業をなされた著者の意向を編者が世に著したのではないかと推測されるのです。その「西郡筋三十三観音」には「櫛形町・浅野貫一氏記の資料と『甲斐・信濃路の三十三所』(石川靖夫氏著)平成12年をもとに。」と書かれていました。御詠歌は一番、二番、十番、十二番、二十九番、三十番が収められたいました。出版社の神谷書房は個人出版を手がけている書店のようです。2012年11月出版です。

 後者は19センチと小ぶりな本で、やはり6首の御詠歌が紹介されています。こちらの方は正確な地番、その他の情報などが記されていて実際に訪れるときには有効な情報となります。こちらにも「地元の浅野さんのからいただいた資料による。」とありました。こちらは2012年11月出版で個人名です。浅野さんとはどのような方なのでしょうか。いずれも先人に熱心な研究者がいたようです。

2.御詠歌って誰がどうやって作ったのだろう。 金沢山隆厳院を訪れたのは11月9日午後4時でした。立冬の翌日、肌寒い午後でした。そういえば前回は12月も28日年の瀬のやたら寒い日だったなあ。この御詠歌は「いつしかや仏のすがたおがむれば東はかねのおやまなりけり」とあります。「いつしかや」はどう解釈すれば良いのでしょうか。「いつかは仏のおわすあの世にいきたい」かな。そう拝むと東には黄金の山がある・・・東にあるのは富士山?朝日に輝く富士山?金沢山の「金」にかけているのかな。難しいですね。

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3.「甲州財閥」とか甲州商人とか言う言葉があります。明治維新前後に繭や絹製品の輸出で財をなした方でしょう。その一人に「若尾逸平」という方がいます。

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名士として立像が建立されています。大っきい、というのが素直な感想です。

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地蔵堂もあります。

3.西郡筋 西郡筋とは御勅使川以南釜無川以西の丘陵扇状地を指す地名でしょうか。今の南アルプス市富士川町増穂周辺を指します。ですから同じ南アルプス市でも旧八田村には観音霊場はないのですね(もっと大きい甲斐観音霊場張りますが。)

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 隆厳院は三階の交差点から少し北にあった道を東に入るとあります。もっと書きたいのだけれど写真の投稿がupしません。何だろうね。その2を書きます。