結願 西郡33観音霊場巡礼日誌 十四番 大神山伝嗣院 

1.結願 最初の巡礼は14か月前のひと月ちょっとで、一日5、6か所巡る弾丸巡礼でした。受験生を抱えていた事情があったのですが。今回は5か月かけました。じっくり行こうと思ったのですが、徒歩ではないし、一回二か所か三か所行きましたので早くも終わりです。根がせっかちですからね。

 伝嗣院を結願の地に選んだのは、最初に訪れた時の印象と、その後お礼参りに行った時の桜の美しさによるものです。いい桜だった。それに、ちょっと離れたところに桜と富士山と石仏の絶好のビューポイントがあって、カメラマンでにぎわっているのです。

 本当は本堂に近い上の駐車場にとめたのでこのレポートは自分の行動を正しく書いているのではないのですが、話の都合上正面から入ったことにして報告します。(実は今までも順序を違えて報告していました。)

  伝嗣院は相当寺格は高そうなのですが、「甲斐国志」の「同宗豆州賀茂郡最勝院末(五格帯封)州安一派ノ本寺定法檀本州七箇ノ一ナリ」という記述はよくわからない。五格帯封って何?州安という一派をとりまとめた本寺なのだろうが、常に法檀という立場だったのだろうか。そのような立場の寺院が甲斐の国に七寺あってその一つということかなあ。寺内には本堂、開山堂、庫裏、衆寮、禅堂、首庶寮、山門、総門があったようです。本尊は「生身ノ仏牙」(お釈迦様の歯)だそうです。七重の宝塔に蔵められていたようです。その他にも寺宝として釈迦如来木像、大般若経六百巻、茶器など。

 江戸時代には門前にしだれ桜の古木があったそうで、それが枯れて根元から若木が育ち今はそれも古木となっているとか。江戸時代のことですが。今仁王門の向こうに見えるのはソメイヨシノでしょうね。しだれてはいません。

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 2.探訪伝嗣院 伝嗣院の門前には人家はありません。畑が広がり、眼下に甲府盆地を見下ろすだけです。参道が麓から真っ直ぐ伸びているわけではありません。檀家さんは上宮地(田頭)の方たちでしょうが、集落は伝嗣院より西にありますので、東の端に東向きにある門を通って参詣するには、ぐるっと回らなくてはなりません。実際は集落に近いところ門に回らず南から入れば、南向きの本堂にすぐ行けますし、お墓は寺内では一番集落に近い西側にあります。東側のプロムナードは遠来の参拝者や格式ある方のお迎え用で、檀家の方は南側から直に本堂やお墓にお参りしていたのでしょう。

 とりあえず正面に立ちます。十段ほどの石段は幅が広く、上がりきったところ左右に新旧の石柱があります。曹洞宗とあります。お寺によっては曹洞禅宗名乗るところもあります。

 上りきると左右に観音様。ずらっと観音。何十体あるのだろう。壮観です。石仏は古く観音様かどうか判然としないものもありますが、あえて別の仏さまを混ぜる必要はないように思います。割れて上部のないものや、倒れているものもあります。

 観音様が尽きたところに石灯籠があって二十段くらいの石段、山門、小さなお堂、鐘楼、五分咲きの桜、裏山の青さ、奥の山はやや薄い。絵になるなあ。浮かぶ雲さえいい雰囲気。枯れた芝の参道は足に優しい。心も穏やかになります。

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両脇にはずらっと観音様。

 かつては総門、山門とあったようですが、山号寺号の石柱があたところが総門で、こちらが山門でしょうか。暗い部分、格子になっています。近寄ってみると、一対の仁王様、仁王門ですね。金剛力士はハチの巣状の網目(ハニカム構造)で写真ではわかりづらいですが、がげしい憤怒の表情、隆々とした筋骨、迫力があります。千代の富士みたい(古いかなあ)。 

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仁王門が近づいてきました。

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網に遮られて写真ではわかりづらい。こっちが「吽形」だったかな?

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 門をくぐると右側に六角形の小さなお堂がありました。新しいお堂です。屋根がユニークです。 金色のサッシの扉、ガラスブロックの明り取り。防犯はばっちりって感じです。左にある頭頂部に球形が乗った円筒はお賽銭を入れるところですね。貯金箱みたいな投入口があります。

 中を覗くと黄金の観音様。高そうといっては失礼になるけれど、なるほど厳重にするわけですね。見ればほしくなる輩もいそうですから。それでも秘さずに見せていただけるのはありがたいことです。観音様の前に扉があって左右に掛け金みたいなのが見えますから、お彼岸だけ特別に開帳しているのかもしれません。一面の穏やかな顔立ち(一面とはお顔が一つという意味です)。手元はどういう状態かわからないですけれど、蓮の花か何かを持っていそうな感じです。観音様の中では一番オーソドックスな聖観音でしょうか。六角形にはどのような意味があるのでしょうか。衆生が転生する六道に由来するのでしょうか。輪廻転生する六道とは、地獄道・餓鬼道・畜生道阿修羅道・人間道・天道です。人間道は上から二番目。仏教には六のつく言葉が多いですね。六根・六境・六塵・六観音六地蔵・六阿弥陀・六牙白象・六垢・六時・六識・六種力・六即・六大・六道銭・六徳・六念・六波羅蜜・六蔽・六欲天

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伝嗣院にも六角堂がありました。+

 

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安置されているのは何の菩薩だろう。

 さらに歩を進めると桜の木の元にかわいいお地蔵様がありました。この桜はまだまだですね。十段ほどの石段を上がると本堂のある境内です。振り返ると鐘楼です。こちらの鐘は本堂に向かってではなく、甲府盆地に向かってつくのですね。気持ちよさそう。特に除夜の鐘は、眼下に広がる夜景に向かってつくのだろうな。檀家さんにとっては最高の鐘でしょうね。煩悩も落ちるんじゃないかな。

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お地蔵さんの向こうに鐘楼と本堂が見えてきます。

 

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ここで鐘を撞いたら気持ちいいだろうなあ。

  実際に参詣する人は本堂と同じ高さのこの駐車場に車を停めます。見事な桜です。次の週当たりが見ごろでしょう。

 本堂は何度も火災にあっているようですから、位置も規模もかつてとは違っているかもしれません。玄関の左側の戸が開けられていて七福神が置かれていました。

 

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五分咲きぐらい?満開にはもっときれいです。

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本堂入り口の左のサッシが開けられていて、七福神が置かれていました。

 あっ、わんちゃん元気だ。一年前もいました。とってもおとなしい犬です。かわいい。小屋に書いてあるのが名前でしょうか、「しばた」くん。柴犬のしばたくん。 

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柴犬「しばた」くんはとてもおとなしい。

 本当に見どころが多い伝嗣院です。きれいにしつらえた庭園もあります。水が張ってないのは季節だからか、張るのをやめてしまったのか。小堀遠州の作とか、夢窓疎石の作とか伝えられているそうです。小堀遠州は江戸初期の建築家・造園家であり遠州流茶道・華道の祖でもある人です。名古屋城伏見城天守閣を作った人でもあります。夢窓疎石は塩山の恵林寺を開いた山梨ゆかりの僧で、山梨の人(というか私の周りの人)は夢窓国師と呼びます。南北朝時代臨済宗の僧侶ですが、優秀な弟子を輩出し、政治的にも影響力の大きかった人で、文学面では五山文学という漢詩文のジャンルに一派をなしたようです。作庭にも優れた才能を発揮しました。山梨の人は古いお寺の庭園をみると夢窓国師の作だという傾向があるような・・・

 新しいものですが聖観音もあります。 

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池に水は張っていませんが、きれいな庭です。

 

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聖観音。新しい。

 こちらは経蔵でしょう。 「甲斐国志」に記述のあった大般若経六百巻は焼失を免れ現存しているようです。県の重要文化財です。コンクリート製の頑丈な建物に収められているのですね。

 その左脇を奥に入ると歴代の住職のお墓がありました。中央の墓石がより古そうで両サイドに行くにしたがって新しくなっています。一番左のが一番新しく、四十世・平成二十四年の文字が確認できました。その両脇にはコの字をなすように祠やお地蔵さんが並んでいます。観音様以外をまとめたのかもしれません。

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経蔵でしょう。防火防災のためか頑丈な造りです。

 

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経蔵の横を上がった奥に歴代住職の墓所がありました。

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一番奥に並ぶ歴代住職のお墓。左端の四十世住職一番新しい。平成24年

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住職の墓の両脇はお墓や石仏が。

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ここにはお墓以外も混じっています。

3.桜のスポット 伝嗣院の入り口に立つと本堂のほうとは違う人の流れのベクトルがありました。といっても人や乗り物がちらっほらっですが。(これは昨年の桜が満開の時。)今回も家族連れが北のほうへ歩いています。丁字路に突き当たるかどに程よい大きさの桜が立っていて、その下に4体ほどの石仏があります。今回はかすんでいましたが、よく晴れていれば背景に富士山がくっきり見えます。この季節ならしっかり雪をかぶって。家族連れ以外に、自転車に乗った先客がいました。隣地に「許可なく立ち入り禁止」の立て札があったので、許可なく敷地内に入り込んで写真を撮る人が多いのでしょうね。 

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絶好のフォトポイント。今時なら「ばえる」ところ。

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七分咲きぐらい?

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晴れていれば富士山がバックに映ります。

4.終わりに これでおしまい。

 あの人は今でも病気と闘っているのかなあ。あの子は進路決まったみたいだけど、幸せな選択だったかな。俺は自分で決めたことだけど後悔していないかな。遠くにいる家族、こんな世の中になって会うこともできないけれど(知事さんが東京への不要不急の出の自粛を要請しました)ちゃんと暮らしているかな。いや、それ以前にこの世の中どうなっちゃうんだろう。全然心穏やかな境地には到達しません。

 所願成就とはいかないですね。成就したものもあれば、まだまだのものも、結局ダメだったものもあります。そうしているうちに新たな願いも生じたり。こうやって人生は続いていくんだろうなあ。

 それにしても、ただ巡礼するよりもこうやって記録に残すほうがすることの動機付けにもなり、張り合いがありますね。「張り合い」は古い言い方かな。モチベーションがあがりますね。

 ここで区切りがついたので、今新たに「甲州弁と古典文法」「リリジョンズラブ~ある愛の話~」「こうせい漢詩の陽だまり」といったテーマで別にブログを書こうかなあと思っています。文体を変えて。

 またどこかでお目にかかりましょう。