甲府五山を巡る④ 東光寺

1.大字になっている寺

 東光寺という番地は、三丁目まであるのだから東光寺は大きなお寺なのでしょうね。能成寺も東光寺町にあります。能成寺からは東光寺、長禅寺と徒歩で行くことに決めていました。だから、能成寺の駐車場にこだわっていたのです。

 西に北にと行くと彼方に大きな瓦が見えました。あれがそうじゃないかな、という瓦屋根があります。ところが、同行者はあんな遠くには行きたくないといいます。じゃあやめようという答えは、予想してないから、ただ甘えて言うんだろうけどこのレトリック、うざい。歩きと決めたら歩きます。わかっているくせに。わたしは意地っ張りなんです。

 でも、梅雨のむしむしする昼下がりは結構つらい。実は見定めた瓦屋根は甲斐善光寺で、東光寺はもっと近くだったのですが。

 結構日差しが強くなってきました。帰命院の標識が見えました。帰命院?どこかで聞いたことある名前だな。家に帰って確認すると西郡33観音霊場の阿弥陀寺源空寺の本寺の浄土宗のお寺でした。でも寄らずに進みます。広いお庭の大きな家がありました。お金持ちが住んでいるんだろうなあ。

 歩くこと約20分、法蓋山東光寺に着きました。山門の真ん中で杖をついた仏様がお出迎えです。扁額は「灋(法の古字)蓋山」とあります。読めませんね。

 

 

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門の中央で仏様のお出迎え。

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六地蔵がいっぱい。

 

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説明板は三カ国語の訳付き。

 

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名勝 池泉式鑑賞庭園

 

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仏殿です。

 2.六地蔵、庭園、仏殿

 

 門を入ると一つの石に六地蔵を刻んだものがたくさん。双体のものや単体の仏さんもありますが、圧倒的に六地蔵が多いですね。誰がどんなタイミングで寄進するのだろう。案内板がありました。こちらの仏殿は室町後期の建築で昭和2年に重要文化財に指定されているようです。正面の武田菱をあしらった門は閉ざされているので回り道して進みます。

 と、名勝池泉鑑賞式庭園の看板がありました。鎌倉時代の渡来僧、蘭渓道隆作の県内屈指の庭園だそうですが、有料のようで開園しているのかわからないのでスルーしました。無料の枯山水のエリアは白砂に渦巻きがきちんと描かれていて美しかったです。

 そして仏殿。木造で檜皮葺でしょうか、一層なのですが裳階がついていて二階建てのように見えます。合掌。

 

 

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戸が開いていて中がうかがえました。

  これ、どこだったっけ?お堂の内部なんだけど、仏殿は正面の扉が閉まっていたから違いますよね。隣接する建物だったかな。時々記憶が飛んだり、覚え違いをします。

3.幽閉されるお寺

 

 こちらにも武田氏ゆかりの人が多く葬られていました。

 諏訪頼重武田勝頼のおじいさん。ここに幽閉されて自刃したそうです。子供の頃、武田晴信(信玄)の子がなんで勝頼なんだろうと疑問に思っていましたが、外祖父頼重の頼を取っているのですね。庶子ですから本当は諏訪の領土を与えられて諏訪勝頼として、諏訪家を再興させるぐらいの腹づもりじゃなかったのかな、信玄は。

 武田信義のお墓もあります。こちらは正室三条夫人の長男。嫡子でした。晴信の信をもらっていますね。ところが、謀反の疑いをもたれて幽閉されここで自刃しました。幽閉が多いなあ。信玄と三条夫人の子は長男義信が自刃。次男信親が盲目、三男信之が夭折。それで結局、側室湖衣姫(と小説では呼ばれている)の非嫡出子、信の字をもらわなかった四郎勝頼が後を継いだのですね。

 柳沢家のお墓もあります。柳沢家は花菱紋ですね。徳川綱吉側用人柳沢吉保甲府藩の藩主だったのですね。大河ドラマ元禄太平記」では石坂浩二が演じていました。子の柳沢吉里の代に大和郡山に転封されています。この柳沢家の家老の次男で、柳沢淇園という画家がいますが、寺内にはその絵も所蔵されているようです。淇園の随筆「ひとりね」には、元禄時代甲州弁についての記述があり、とても興味深いです。

 さあ、あとひとつ。最後は長禅寺です。

 

 

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仏心塔とあります。

 

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誰のお墓だっけ?

 

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勝頼のおじいさん

 

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信玄の長男武田信義のお墓。

 

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  鐘楼

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