甲府五山を巡る⑤ 長禅寺

1.ウォーキング

 

 五山巡りは参拝が目的ではありますが、ウォーキングの意味もあります。コロナ以来というかリタイア以来というか、意識しないと体を動かさなくなっています。特に梅雨に入ってから。能成寺に車を駐めて、能成寺、東光寺、長禅寺と回って能成寺に戻ってくると距離だけで5.5キロ、午前中に歩いた分と境内の中を歩いた分を会わせると結構な歩数になるでしょう。晴れたり曇ったりですが、紫外線は強そう。紫陽花は優しいのに。

 帰命院の前を通り、能成寺の前を通り過ぎて隣の誓願寺を見ると寺内の保育園ではお昼寝の後でおやつを食べていました。ここは三つのお寺が並んでいるのです。中央線の側道まで行くと今度は来迎寺というお寺がありました。浄土宗のお寺です。浄土宗が多いな。

 線路沿いに歩くと、やや上り坂、金手駅という小さな身延線の駅を通ります。すごく小さな駅で、最寄りの東京電力の社員のためだけに作られたという噂は本当なのでしょうか。坂を下ると甲府中心に来た感じがします。高層ホテルが見えますが、最近オープンした城のホテルでしょうか。

 

 

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長禅寺とうちゃこ。

2.長禅寺とうちゃこ。

 

 中央線で甲府竜王に帰るとき、必ず甲府駅の手前で五重塔を見ますよね。あれをいつか間近で見たいと思っていました。心当たりの方は多いでしょうね。あれが長禅寺です。石碑がありました。「北堂」とは正室の母という意味でしょうか。「塋處」はお墓のことでしょう。普通の語彙として使っていたのかな。無学の人にはわからんだろなと、わざと難しい漢字を使っていたのかなあ。それともこのくらいの漢字は当たり前に読めたいたのかなあ。わかりません。信玄は、幼少の頃ここで学問に励んだようです。出家して「機山公」と名のった場所のようです。

 

 

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巨大な門です。

3.一番かな

 

  こう言っては失礼かもしれないけど、長禅寺の山門を見たとき、それは、中央線や身延線のガードを過ぎて右を振り向いていたときですが、巨大な木組み門に驚きました。でも、三内丸山古墳みたいに丸きむき出しで細工がないような感じ。それもいいけど、西郡のちっちゃな寺なら、十個ぐらい作れる材木だなあと思ってしまいます。

 府中五山では、順位が決められていないとはいえ一番規模が大きい長禅寺、小さな門や鐘楼、一本柱の東屋風の建物があります。小さな門の前には恐ろしく長いベンチ、何かで切り出した一枚板のようです。全体的に、整備中らしく廃材や工具が見えます。

 根元すぐからぎゅっと曲がった松は面白いよね。

 

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門がいくつもあります。

 

 

 

 

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鐘楼もお寺によって様々です。

 

 

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工事中みたいだけどなんだろ。

 

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松の曲がり具合がすごい。

4.塔がいっぱい

 小さな門を迂回するように右から回っていくと、三重の塔がありました。文化財の指定はないようなので古くはないのかも知れません。でも、塔っていいよね。最近再建した身延山五重塔もいいし、外国人に人気の富士吉田の忠霊塔も本当の意味はわからないけど、景観はいい。

 塔を過ぎると、本堂があります。中に入れないようなので、遠くから合掌。

 だんだん純粋な気持ちが薄れて、ただ形式的に手を合わせている自分が嫌になります。焦らず、ゆっくりゆっくり。

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三重塔

 

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本堂

  本堂と左右対をなすように、三重塔の反対側、西には宝形造りのコンクリートか漆喰の堂があります。これは経蔵だろうな。お経を収めているお蔵は耐火性を重視しているから。違うかな。いずれにしても貴重品が入っているのでしょう。

 その西側に五重塔。平成2年再建だそうです。格好いいです。

 城郭などもそうだけど、礎石や石垣を見ると、そこに立てられていた建造物を再現したくなります。先日、甲府城天守台に上ったけれど、入り口の石垣がすごく想像力をかき立てられました。ここに天守閣があったなら。

 学者は客観性を重視するけど、愛好者はロマンを求める。どう折り合いをつけるのかな。

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経蔵かな。

 

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五重塔

5.大井夫人のお墓

 

  大井夫人は武田信玄の母、西郡の国人大井氏の娘で信玄の父、信虎の正室です。信玄はここで幼い頃、学問を修めたようです。

 大井夫人のお墓の参道は、枯れ枝が落ちて危ないから通らないでくださいとの掲示がありました。でも、通らないでくださいとあるだけで、行ってはいけないとはないのだから、回り道すれば行けるのだろうと横の道を進みました。同行者は帰ろうと言いましたが。

 その直線の参道と迂回の道が交わるあたりに、ちょうど本堂の真裏あたりに、八角の四重の塔がありました。えっ四重の塔?ないよね。一番下が裳階なのかな。それにしても、どうしてこんな目立たないところに立っているんだろう。古くはなさそうだけど。

 迂回した後の道は、敷石が続く歩きやすい道でした。その先に大井夫人のお墓がありました。新しいですよね。ちょっと他のお墓とは違った。

 お供えの飲み物は、「おーいお茶」でした。大井かな。しゃれなのか偶然なのか。

 

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参道は枝が上から落ちるから迂回せよとの立て札がありました。

 

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ひっそりと四重塔?

 

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大井夫人のお墓です。

 

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おーいお茶でした。

6. おわりに

 

 なんだろう。達成感はありますが、ちょっと違う感じがする。庶民はただただ仏を信じて、石塔を寄進したりしたんだよね。そういう普通の人々とは違う、権力者の思いが見えたりして、純粋に観音様をお参りしたのとは違う。確かに、母を思い、妻を思い、家族を思い、家を思い、それゆえに時として非情にならざるをえなかった時代の群像はわかります。でも、それは涅槃とは違う、修羅じゃないかな。(よくわからい言葉を使って訳ありません。)自分は、御朱印とか観光とかじゃない部分でなにか得られたかな。

 それでも、何十回と手を合わせた本堂諸堂、お墓には誠実に向き合っていたつもりだけどね。

 また機会があったらレポートします。