篁生の神社巡礼日誌①~桃園神社~

 1.今度は神社をめぐります

 ネクタイを締めなくなって、時間に追い立てられる生活から解放されてみると、一日一日が不思議な早さで過ぎていく。焦って焦ってもうこんな時間だっ、ではなくてあれっもう月曜日だ!という感じだ。時間にあらがうことなく生きていけるのは幸せだ。まあ、また忙しい日々が来ることもあるかも知れないが、今は自分の時間で生きていこう。

 別のパソコンで室町時代の稚児物語を現代語訳したり、翻案したりするブログを書いている。「リリジョンズラブ」などというサブタイトルをつけているが、それほど読まれていない。まあ、一生国語の勉強はしていくつもりで、自分のために研究しているのだから、それほど気にしてはいないが、プリントと辞書とパソコンとずっとにらめっこしているのは気にしている。あっ漢詩も。根を詰めて机に向かっていると体が固まる。

 外に出なきゃ。

 ということで、どこか歩いてレポートすることを再開しようと思った。では何か。グルメレポートじゃないよね。柄じゃない。山歩き、ハイキング?若い頃には南アルプス八ヶ岳に登ったからそれは好きだけど、今は視力に自信がないからパス。

 お寺の次は神社でしょうか。お寺を巡ってレポート書いて、書くとなると色々調べて勉強になった。それなら今度は神社で勉強しよう。

 基本、自分の行動範囲で神社を巡ろうと思う。わざわざそのために出かけるのではなく。最近願い事が少なくなった。それでも時々ぽこっとあぶくが出るように願い事も浮かんでくるから、そんなささやかな願い事を持って神社に出かけよう。

2.まずは桃園神社

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正面の鳥居です

 

 桃園神社は自宅から徒歩25分程度、往復で50分ほどの所にある神社である。まずはこの神社から。おそらくわたしが一番多く参詣した神社である。距離がウォーキングに手頃であること、歩きやすい道であること、これが理由に一つ。五、六年前に通った新しい道が歩道があって歩きやすい。ウォーキングしている人と行き交う。

 もう一つは、「家族お百度参り」をしたからだ。桃園神社には境内に石の祠であるが、摂社の天満宮がある。子供の受験の時に「お百度表」なるものを作って誰でもいいから参詣したら○をつけるということで、百回を目標にした。わたしたちには散歩、子供にとっては受験勉強の気分転換のためのジョギングとしてお手頃であったのだ。天満宮は言わずと知れた、学問の神様菅原道真を祀った神社だ。

 御利益があったかどうか?いいこともあったし、よくないこともあった。

 ただ言えるのは、スマホで受験情報を調べてあれこれ考えてやきもきするよりも、何も考えずに歩いていた方が、気持ちがすっきりしたと言うことだ。

 

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杜はかなり広いです。

 

 

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院宮桃園神社と書いてあります。

 

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境内図。

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案内板です。

3.初冬の桃園神社

 季節は立冬。しかしそれほど寒くはない。空は抜けるように青い。南アルプスコミュニティーバス芦安線、桃園神社バス停で降りる。コミュニティーバスは南アルプスのほぼ全地域を網羅するコミュニティーバスで本数こそ少ないが、一回一律百円、年間定期三千円ととてもリーズナブルなバスであるが、利用者はさほど多くない。わたしはよく利用する。

 石(コンクリート製?)の大鳥居の前に立つと杜の清浄な空気が杉の香りを伝えてくる。杜とは言っても地所自体が平坦で、植林の林であろうと思う。元々は清和天皇の皇子、貞純親王の食封であったというから、平坦な耕作地であったろう。

 石碑には「院宮 桃園神社」と刻まれている。貞純親王は皇族だから「院の宮」邸宅が京都六条桃園にあったので「桃園の宮」と呼ばれたらしい。その貞純親王を祀った神社である。鳥居の右に境内図が掲示されている。以前は字の部分のペンキが薄くなっていてよく読めなかったが、そこに文字の書いてあるプレートが貼られていてよくわかる。あれっ、随神門の手前にあった祠は天神社だったんだ。奥にも石の祠の天神様がいるのに。案内板にある神明宮かなと思っていた。

 脱帽して一礼、鳥居をくぐる。樹齢はどれくらいだろう、木々は高く昼でも深く、鬱蒼とまではいかないが、日差しを遮っている。案内板を拝見。桃園村の氏神であるようだ。貞純親王以外にも大国主命仁徳天皇も祀られているようだ。「

 「甲斐国志」は江戸時代に編纂された甲斐国の地誌だが、そこには「若宮八幡宮」と記されている。桃園神社とは書かれていない。桃園村の村社となったのは明治六年であるそうだから、本来は「若宮八幡宮」だったのだろう。

 若宮は電子辞書の「ニッポニカ」によれば、①本宮の御子を祀る社であるという、八幡神応神天皇と比定されるから、その御子、仁徳天皇を祀る神社となる。②本宮の分霊を祀ったともいう。そうすると、どこが本宮となるか、いずれも八幡宮を守護神とした源氏の神社であろう。八幡様は戦の守護神だったと、幼い頃、誰かに教えられた記憶がある。遙か昔のつたない記憶なのだが。

 何で八幡様かというと、この貞純親王の御子が「源」賜って臣籍に下った。皇族もべらぼうに増えると財政的に困るから、姓を与えて普通の人になってもらう。後は自分の経済力で生きていけということになる。皇族でも品位が与えられる親王だと食封が得られるが、無品親王だと食封は与えられない。プライドは保たねばならないのに生活は不如意なみじめなものだったらしい。貞純親王の子は「経基王」から「源経基」となって清和源氏の祖となったという。甲斐源氏武田氏もこの系譜に連なる。わたしの故郷、身延町下山も甲斐源氏穴山氏の城下で、氏神は八幡様だったと思う。山梨には八幡様が多い。調べたわけではないが、若宮八幡も南アルプス市にはけっこうある。そのひとつかも。他の若宮八幡宮と差別化する意味で桃園神社の名称を使うようになったのかも知れない。

 この神社はいつもきれいに清掃されている。砂利道には日本庭園のような熊手でならされた筋が整然と描かれている。まっすぐ伸びた参道には灯籠が並んでいる。氏子さんの寄進らしい。落ち葉を踏みながら歩くと、一本だけ斜めに伸びた木があった。杉だと思う。ちょっと不思議な光景だ。想像するに、暴風か何かで倒れかかった木が、他の木に当たって止められて斜めになったまま再び根付いて生きているのかなあ。あんまり見たことのない、斜めにまっすぐな木である。よく、訳知り顔の大人が、「天を衝く大木のようにまっすぐ生きなさい。」なんてお説教するけど、斜めにまっすぐ生きる生き方ってあるのかな?どんな生き方だろう。

 

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斜めの杉。生きています。

4.参道を行くと 

 参道を行くと左手に手水屋があり、その先に小さな社殿がる。小ぶりながら瓦の屋根は見事だ。賽銭箱はない。

 その先に随神門がある。門の左右の格子の中に神像が祀られている。お寺の本尊とは違って神社のご神体は剣や鏡が多いらしいから、仏像とは違って神像は少ないよね。格子の中をのぞくと雛人形の右大臣左大臣のような感じだ。右大臣左大臣随身だから似ていて当然か。右側が口を半開き、左側が口をぎゅっと結んでいる。狛犬や仁王像の阿形・吽形と通ずるのかな。それぞれ剣と弓を持っているようだ。左側の神様には名前が書かれた札が添えられている。薄くてよく読めないが、かろうじて判別できる「磐」の字を頼りにその上の「櫛」も類推してスマホで検索すると、「磐」の下のうかんむりだかわかんむりだかの字は、「窗(まど)」で、「櫛磐窗命(くしいわまどのみこと)」らしい。すると、右神は「豊磐窗命」で、ペアの門番神のようだ。勉強になる。しかし、スマホやパソコンのなかった頃だと、これだけ調べるのに何日もかかったかも知れない。わからずじまいになる可能性も多い。すごい時代になったものだ。すごい時代がいい時代だとは思わないが。

 仏像と違って、慈愛に満ちた表情ではない。ちょっと参詣者を睥睨する感じ。神像ってあまり見る機会がないから、鑑賞眼の根拠はない単なる印象だが。

 随神門を過ぎると、右に向かう小径がある。曲がって進むと注連縄で結界された囲いの中に「夫婦樅」があった。二本並んだ巨木だ。桃園神社のあたりは建物が少なくその杜はかなり遠くからも見える。こんもりと広がっている中で、確かに二本だけ抜きん出た木が認められる。それがこの樅だ。鳥居の向こう、二本の木の真ん中に石の祠があり、手前に木をくりぬいた賽銭受けがある。礼拝。

 自然木ではないのだろうが、よくここまで大きく伸びたなあと驚く。誰かのお手植えとかのいわれがあるのだろうか。足下に目を落とすと、ツワブキが黄色く鮮やかに咲いていた。ツワブキ冬の花だ。蜻蛉が飛んでいる。

 

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門があります。

 

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随神右。

 

 

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随神左。

 

 


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ご神木の夫婦樅。

 

 

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石蕗(つわぶき)は冬の花です・

5.本殿参拝

 再び参道に戻って本殿に向かう。左手に社務所があり、その横におみくじがたくさん結われている「おみくじ掛け」がある。平素はひっそりとした神社だが、初詣でには賑わうのだろう。社務所も開かれておみくじやお札、お守りや浜屋なんかを販売するのだろう。販売といってはいけないな。「初穂料」を納めていただいて「授かる」のだな。

 本殿に向かう。正確には手前が「拝殿」奥にあるのが「本殿」。左右の狛犬が迎える。二礼二拍手一礼。見慣れた光景だ。何度来たのだろう。 

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拝殿です。

6.摂社 

 摂社というのは本社の境内にある別の小さな神社のことである。境内の外にある境外社というのもあるらしいから正確な定義は別として。それなりの神社には摂社も多くあるから、全部廻れば所願成就、お得な参拝となる。

 桃園神社の摂社には、神明社天照大神、全ての神の大本、太陽神)、天神宮(菅原道真、学問の神様)、稲荷神社(五穀豊穣、商売繁盛の神様)、大山大明神(雨乞い、水の神)、駒ヶ岳蔵王権現修験道の守護神)、六社神社(六つの祭神を合祀したもの)がある。神明社だけはどこにあるかわからない。本殿に合祀されているのかもしれない。こりゃかなえられない願いなんてないよね。

 それだけじゃなくて、摂社よりも社格に低い末社が十二神、石祠として祀られているようだ。

 では摂社巡り。

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駒ヶ岳蔵王権現の石碑と八幡社と書かれた鬼瓦。

 この石碑には、駒ヶ岳蔵王権現の刻字が確認できた。左の鬼瓦には八幡宮と書かれています。何代か前の本殿の瓦でしだろうか。ここは修験道とは縁遠い感じだが、どこからか移したのかな。 

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六社大明神は跡だけです。

 六社大明神は消失してしまったというけれど、だから、かつてはあったんだろう。六社って単なる寄せ集めなのか、定まった六社なのか、ちょっと調べたいね。 


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お稲荷さんは豊作の神。

  六社も蔵王も向かって右側。その奥にお稲荷さんがあります。本尊は石祠だけれど、鳥居や諸々の付属を見ると、祈りの重点がかかっているのを感じます。


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大山神社

 大山神社はちょっと調べただけでは、どういう神様なのかわかりませんでした。水に関する神様なのに、大山、どなたかに教えていたたらと思います。ずらっと横一列に石祠が並んでいて、ちょっと大きな祠に賽銭が多く供えられていたので、これが主神なのかと思うだけです。

 大山神社を右脇に正面にあるのが天神様。ここ、何度も祈ったなあ。祈るって努力を放棄することではないんだよね。祈るだけではだめ、でも頑張るだけではだめ。かな。 

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天神社

7.その後

 さっそくにレポートしようと思って抜かりがありました。本殿というか奥殿というか、拝殿の奥の建物の写真がありませんでした。日を改めて行きました。夕暮れです。更に物足りなくても一度行きました。 夜です。

 新しそうな本殿の前に元々の古い本殿らしきものがあります。桃色?ちょっとわかりません。角度を変えると西日が輝いています。

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奥殿。

 

 

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奥殿残光。

 夜の参拝も何回もしたなあ。久しぶりに夜に訪れました。常夜灯かなあ、ソーラーライトかなあ、いい雰囲気です。 

  第一回だから盛っちゃったかな。たくさんレポートしました。

 お近くの人は是非行ってみてください。

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夜の神社。

 

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常夜灯かな。