篁生の神社巡礼日⑦~下山の神社その1~

1.下山の神社

 下山は狭隘な山梨南部の河内地方においては、南部・波木井・西島などとともに比較的広い土地を有する場所でした。正確な範囲はわかりませんが、かつては下山荘という荘園があったそうです。「身延町誌」によると、鎌倉初期に甲斐源氏の一族秋山氏の小太郎光重が領主に任じられ下山氏を称したそうですが家系は途絶したようです。武田支配下に穴山氏が領有し、河内地方を支配しました。

 私が父から聞いた話では、下山を拠点とした穴山氏は、京都を模して町並みを整備したそうです。本町(直下の城下)・大庭(馬場があった場所)・大工町(別名:番匠小路、職人町)・竹下(穴山氏の母の菩提寺南松院の檀家)・仲町・新町・荒町(新たに発展した町)。京都の町家のように間口が決まっていて区画も整然となされています。駿州往還のの要衝として、また身延山詣での宿場としての街村的な部分もありますが、城下町としての都市的側面もあります。城市からやや離れた山額・杉山という集落もあります。

 本当なのでしょうか、父や中学校の先生(下山在住の僧侶)から聞いた話ですと、領主穴山梅雪(信君)は京都に憧れる余り、下山の景物に京都由来の命名をして、京都由来の神社を造営したそうです。

 「身延町誌」には下山の神社は十三社載っています。子供の頃は一の宮、二の宮、三の宮と俗称で呼んでいましたが、正式には一の宮賀茂神社、二の宮下賀茂神社、三の宮飯縄神社と、確かに京都っぽい名前です。

2.2022初詣でまずは二の宮

 子供たちが別に暮らしていると、今住んでいるところが子供らのふるさととなってしまうので、いきおい自宅で正月を過ごすことになってしまいます。父母のいなくなった下山の実家には、年末に大掃除と正月の準備をして、お寺さんが檀家参りをする4日に合わせて帰ることになります。

 今年は3日に帰省し、4日の午前にお寺さんをお迎えして、その後「さて」ということで下山の神社すべてを回る初詣でを試みました。実際は一番北の天神様から回ったのですが、紹介は一の宮・二の宮・三の宮とその他の神社に分けてします。

 まずは二の宮。

 二の宮は正式には「二の宮下賀茂神社」。私の育った本町区と竹下区の氏神です。北側に矢沢川が流れ、小高い丘になっています。天気のよい日で空気は冷たいけれど身の引き締まるような感じです。正月の季語に「淑気満つ」というのがありますが、このような気分のことでしょうか。石段の前に立って見上げるとかなりの段数で勾配もきつそうです。おまけに一段一段が狭い。昔の人の足の大きさに合わせたのでしょうか。年のせいかおせちの食べ過ぎか登ると息が切れます。

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かなりの石段です。

 中頃に鳥居があります。両部鳥居です。左右の柱の前後に控え柱を四本つけているので四足鳥居ともいいます。そのあたりが一旦なだらかになっていて振り返ると、大木町・仲町・新町あたりが一望でき、面の広がりを感じさせます。城下町を実感するふるさとの好きな風景です。でも写真を撮るのを忘れました。

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鳥居は両部鳥居です。

 さらに石段を登ると拝殿が杉木立の間から見えてきます。宮司さんのいないお宮なので氏子で管理しています。参道はきれいです。息が少し切れましたが上りきって参拝しました。鈴を鳴らします。昨年は多くの神社がコロナ対策で鈴を鳴らすのも止められて、縄を高くつり上げて振れないようにしていました。それに比べると鈴を自由に振れるのは、ちょっとよくなったのかな、とその時は思いました。オミクロン未だの時だったので。

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拝殿を近くで撮り損ねました。遠景です。

 本殿は本当の本殿を一回り大きな社で囲んでさらにブルーシートがかけてありました。傷みが激しいのでしょうか。

 なんとなく心が落ち着く神社です。私にとってふるさとを実感できる場所です。

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本殿にブルーシートがかかっています。雨漏りしているのでしょうか。

3.河内領一の宮賀茂神社

 一の宮は下山で唯一宮司さんの神社です。河内領(いわゆる峡南地方)の筆頭の神社として武田氏・穴山氏の崇敬を受けました。地形的には下山の平坦な居住区域の一番奥方にあり、村の鎮守を置くにふさわしい場所でしょう。

 一番奥なら領主の居城とした方がいいと思うかもしれませんが、ちょっと勾配ななだらかなんですね。かつて下山城があった本国寺は、一の宮より前にあるのですが、小高くなっていて土塁を築いて防御するのにいい立地です。

 参道がまっすぐに伸び、大工町の町並みが左右に広がります。ここは「下山大工」という神社仏閣を得意とする大工集団が居住した場所です。石川家・竹下家・松木家など伝統ある棟梁の家もあります。(今はどの家も建築業はしていないようですが)下山大工は甲斐善光寺の山門、御嶽金桜神社の神楽殿、明治の擬洋風建築睦沢学校など素晴らしい作品を残しています。

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 一宮も両部鳥居です。注連縄が真新しく立派です。狛犬にも迎えられて拝殿へと進みます。拝殿は幕が張られています。描かれている「折敷に三文字」は神紋でしょうか、宮司稲葉家の家紋でしょうか。「身延町指定文化財建造物一之宮賀茂神社本殿」と書かれた標柱もあります。社務所から雅楽が流れています。

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一宮も両部鳥居です。

 

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河内領一宮。立派です。

 幣殿も立派ですが、文化財の本殿は透明なパネルで囲われてちょっと見づらいですね。

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下山の神社は本殿を保護するように囲っています。

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下山の神社は摂社が少ないようです。

 ご祭神は「瓊瓊杵命(ニニギノミコト)」と「賀茂別雷命(カモワケイカズチノミコト)」です。子供のお宮参りや七五三でお世話になりました。

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榊の原生林。

 ここの榊の林は原生林の群生としては山梨県では北限のようで山梨県の自然記念物に指定されています。榊は神事に使う神聖な木です。切って使ってはいけないのかな。

 帰りは気持ちがいい下り坂です。

 お正月の山。お正月の空。

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見下ろすと城下町です。

4.なぜか迷った三の宮

 三の宮は一の宮より南、新町区の西の高台にあります。夏は風の通り道で涼しいところです。冷房なんてない時代、私の父は子供の頃夏休みの暑い日は、ここの境内か拝殿で涼みながら勉強をしたと言っていました。

 正式には三の宮飯縄(いいずな)神社といいます。この神社は京都にはないですね。長野の飯綱山の山頂にあるそうです。飯綱はイタチの仲間の小動物です。最近物故された漫画家白土三平氏の名作「カムイ伝」「カムイ外伝」の主人公忍者カムイの必殺技が「飯綱落とし」でした。プロレスのバックドロップみたいな技です。少年時代、カムイ伝には感動したなあ。合掌。

 ここのご祭神は倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)といいます。五穀を司る神様です。あれ?五穀豊穣はお稲荷さんじゃないの?お稲荷さんは狐だよね。でも本家の飯縄神社のご祭神は狐だとも言うし、よくわかりません。下山には稲荷社も別にあります。

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三の宮飯綱神社です。

 以前何度か行ったことがあったので、自信を持って行ったのですが、迷いました。どうも前と別のルートで行ったら感覚が狂ったみたいです。同じ道を行ったり来たりしてやっと参道を見つけました。

 うろうろしていると、何度も同じ若者とすれ違いました。折りたたみ自転車に乗った青年です。私らと同じで三の宮を探しているのかなあ。

 迷った理由がわかりました。こんなに遠いはずがないと引き返したカーブのすぐ先に三の宮はあったのです。そこまでと決め込んだところを枝道を探しながら行ったり来たりしていたのです。

 鳥居はなく、二本の竹に注連縄を張って結界としているようです。石段が十段ほどあって、後は坂道です。拝殿の前に再び十段ほど石段があって境内に着きます。

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 ここには鈴や賽銭箱がありませんでした。ですから二礼二拍手一礼してお賽銭は割愛。裏手に回ると本殿はここも一回り大きな囲いで覆われ、下の部分はトタン板で囲われていました。

 この距離で三つの神社。下山はやっぱり神社が多いですね。

 次回はその2として残りの神社を紹介します。

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本殿は囲われています。

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本殿の脇に祠がありました。