篁生の神社巡礼日誌④~武田八幡~

1.山梨に門前町は少ない? 

 観光というと、名勝地見学、温泉、グルメ、ショッピングなどと合わせて神社仏閣参拝が定番だろう。この神社巡りでは、観光の定番であるような神社は遠慮して、由緒はあるけれどひっそりたたずんでいるような、もしくはしっかりと地元に根ざしているような神社を参拝しようと思った。そうした目で山梨の神社を見ると、アレッ遠慮すべき神社は少ないなあと感じた。観光バスを連ねて訪れるような所はお寺では身延山くらいだろう。門前町と言っていいのは、身延山の総門と山門の間くらいではなかろうか。伊勢神宮の「おかげ横丁」とか、浅草寺の「仲見世」とまではいかなくても、土産屋や飲食店が軒を連ねる光景があるかというと、特には思い浮かばない。武田神社の前には数軒土産物屋があったけれど、金桜神社、酒折宮、吉田浅間神社、一宮浅間神社・・・どうだったかなあ。

 巡礼が娯楽だった江戸時代や、その前の時代にはそれなりにあったらしいが。今は往事を偲ぶことはできないが、甲府城の前身、一條小山の南にあった時宗の一蓮寺の門前町や、そば切り発祥の地の候補天目山(参拝者に振る舞ったのがそば切りの始まりだといわれている。どうかな。)は賑わったという。神楽殿が立派だったという御嶽金桜神社や、落語「鰍沢」で有名な小室山の妙法寺、七面山や裏ルートで身延山に行く赤沢宿などはかつての賑わいの面影が多少は町並みに残っている気がする。

 武田八幡宮は、石造りの三の鳥居、大きな二の鳥居がある。その手前に石造りの一の鳥居があると「甲斐国社記・寺記」には書かれているのだが、一の鳥居は見落としたのか気付かなかった。「甲斐国志」には「今標木ヲ立ツ」とあるので一の鳥居はなくなったのかも知れない。まっすぐ延びる参道には、人家が軒を連ね、もし多くの参詣人が通るのなら、飲食や宿泊を提供しただろうなと想像でき、ちょっと門前町みたいな雰囲気が想像された。実際どうだったかは知らないが。

 摂社である「為朝社」は痘瘡の神として悪疫退散の神として崇敬されたそうで、さしずめ、今のコロナ禍の狙い目パワースポットかも。今回は武田八幡からは南に少し離れており、足は伸ばさなかった。

 今は静かな杜ではあるが、その昔はどうだったのだろう。

 

 

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2.三度目の武田八幡 

  1月17日に武田八幡宮に参拝した。三度目だ。八幡様は武運の神様だから、家族の受験の際にはなんとなく行こうかと思う。武田信虎や信玄が戦にめっぽう強かったからそれにあやかりたくなるのだ。最近は他人に勝ちたいとはあまり思わなくなったが、理不尽なものや横柄なもの、エゴむき出しで面の皮の厚い奴らには負けたくないと思う。しかし、それより、己に甘く怠惰で自堕落な自分に勝ちたいと思う。神仏に祈ることではないか・・・まあ、運動不足解消という別の目的もある。

 よく晴れた日であったが、風は冷たい。今年は暖冬ではないらしい。まっすぐに伸びた参道は、行くに従って勾配がきつきなる。右を見ると冬枯れた木が見える。あれ「ワニ塚の桜」だろうか。ワニ塚は天皇の皇子の御陵と伝えられ、武田の地名の発祥の地だとされる。

 「二の鳥居」をくぐる。大きな鳥居だ。古そうでもある。厳島神社の海に浮かぶ鳥居みたいで、これを両部鳥居というそうである。扁額は武田信玄の筆というがよく読めない。案内板が詳しい。更に行くと路傍に道祖神。なんということのない石祠だが背景の八ヶ岳が白く美しい。八ヶ岳男神の山だ。

 

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二の鳥居は厳島神社みたい。

 

 

 

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彼方に八ヶ岳が見えます。

3. まっすぐ進めない

 坂は急になっていき、いよいよ境内へ。と、正面に鳥居が見える。二の鳥居とは違って、小ぶりの石の鳥居だ。台輪鳥居。その向こうに随神門がある。しかし石垣の上に作られた鳥居も門も、直接真ん中をくぐる石段がない。両脇の石段を回るように上がらなければ正面に回れない。どうしてだろう。くぐられるのをいやがっているのか。誰が?随神門は二階建ての立派な門で、左右の随身像は胸に武田菱(一方は花菱かも)の模様がある。ディテールにこだわりがあるね。

 晴れて中心を通る石段に。ところがその先にもまっすぐ行くのを阻むように神楽殿がある。障害物競走のようだ。 

 

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次の石鳥居が見えてきました。

 

 

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随神門です。

 

 

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楽殿が見えてきました。正面にあるのですね。

 

 

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楽殿の北にある楽屋みたいなのは何というのでしょうか。神楽装束舎?

4.拝殿、本殿
  結構な石段で息が切れる。ソーシャルディスタンスの立て看板が見える。初詣にはこの看板が機能するほど人が集まったのだろうか。

 拝殿はなかなか立派で、武田菱の描かれた幕が張ってある。二礼二拍手一礼、賽銭に見合わないほどたくさんの願いを心に刻む。欲張りすぎだ。俗物だなあ、俺って。

 北側にお堂というか、格子の戸の粗末な小屋があって、「熊に注意」のステッカー。

その前を通って本殿も拝見した。国指定の重要文化財だ。南に回ると摂社の若宮八幡があった。社務所も含めて社殿の多い神社だと思う。石の祠も多すぎて紹介しきれない。

 神社のランクだと、県社に当たる。社格は、府社ー県社ー郷社ー村社ー無格社の順だからかなり高い。戦前の社格だが。 

 

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拝殿が見えました。ソーシャルディスタンスです。

 

 

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熊に注意の北のお堂。

 

 

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北から見た本殿。

 

 

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南から見た本殿と拝殿。手前にあるのは。

 5.みんな集まれ

 寺社は基本的にはみんなが集まる場所ではないのかな。そこがコモンスペースとなったり、コミュニケーションの場となったり、時にはアジールとなったりする。いのちの集う場所っていうか、あまり難しいことは考えずに集まるんじゃないかと思う。

 武田八幡は神仏習合の頃は、若草の加賀美の法善寺が別当寺となっていて、神も仏も区別なかったのか、武田八幡にも一つの石に百観音の像が刻まれた「一石百観音石像」なんてのもある。色々な人が信条を問わず集まったのか。

 人間だけじゃなくて、歓迎しなくても熊が出没しているようだし、当然鹿も来るだろう。私達が訪れたこの日は、見かけた人は4,5人だった。お猿さんは二十匹くらい跋扈していた。猿口密度の方が高かった。コロナも生き物だろうか。そうだとしてもこの方達は集まることはご遠慮してほしいと思う。エゴ?エゴじゃないよね。

 

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猿が跋扈してます。

 

 

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百観音です。


 

 

 

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