篁生の神社巡礼日⑤~酒折宮~
1.古蹟を訪ねて
漢詩を勉強しています。古碑・古蹟という題で出された時、山梨にどんな古蹟や古戦場があるだろうかと考えました。意外に少ないのですね。古代から中世にかけては歴史の表舞台に立つことはなかったし、幕末・維新には戦場になったのかもしれませんが、古蹟というには新しすぎます。
武田氏滅亡の、新府城・恵林寺・天目山・岩殿山ぐらいかなあ。そこで思い出したのが酒折宮です。超古代、ヤマトタケルの伝説の時代の古蹟です。甲斐国志には「坂下(さかおり)村」という記述もあり、本当にここにあったのかは、はてななのですが(古事記を読んで後付けで命名した可能性もあるし)、そう感じさせるほどこぢんまりした神社です。日本武尊を祀っているのですから、武運長久を祈って参詣する人も多いのでしょう。甲府近辺の方々は受験生の合格祈願に来る人も多いようです。受験は戦いなのかな。
秋とはいっても日差しが強い10月のとある日の午前、酒折駅を降りて、神社を詣でました。このブログも久しぶり。コンセプトにしている、皆があまり行かない、でもそれなりにいわれのあるしっかりした神社というのは、それほど多くはないのです。夏には諏訪大社、上社本宮前宮、下社秋宮春宮全部廻ったのですが、メジャーすぎてちょっとレポートする規模ではないと思い、やめました。
2.なじみのある神社
かつて職場が近くにあったことや、子供達が近くの学校に通っていたこともあり、自宅からはかなり離れているのですが、なじみのある神社です。
周囲は閑静な住宅地。かつてはぶどう園が広がっていたと思います。梅の名所「不老園」も近くにあります。駅から西に線路沿いを歩くと、ありました、それほど大きくない鳥居が。こんなものかなと思って鳥居をくぐると、正面には何もありません。そうだよな、本殿は南向きだものな、と鳥居に戻って社号を見ると「八幡宮」とありました。摂社用の鳥居でしょうか。
南に迂回して正面から参拝します。鳥居と狛犬が迎えてくれます。小さな石祠も祀られていますが、それほど多くはありません。旧社格は村社ですが、地域の神様の親玉というより、唯我独尊、ヤマトタケルのみやしろだぞ、という感じです。わかりづらいかな。地元の神様ではない感じ、マレヒト的な感じかな。
でも、この酒折宮、周囲に特徴的な景物がなく、絶対的な比定はできないので、山の麓は「坂下」だから、その村は「さかおり」村で、そこに作った神社が「さかおりぐう」。そしたら古事記に「酒折宮」があるので村の神社のいわれをそれにくっつけちゃおう。なんて当時の人々が考えたという妄想が働くのですが、どうでしょうか。桃太郎伝説とか、義経伝説とか無理のある伝説はあります。
拝殿の奥に本殿があります。頑張って撮影しましたが、本来の参拝のスタイルではないですね。だって、本殿の中のご神体は決して見ることができないのですから。見尽くそうとしても見尽くせないのが神様なら、心に描いて祈ることこそが信仰の本来なのかなとも思います。でも見たい。
ヤマトタケルはかっこいい。お父さんのいうことを聞かない兄ちゃんをバラバラにして堀に投げ込んじゃえる程強いのに見た目は美少女。西の悪い奴らをやっつけたら、今度は東の悪党をピンチを切り抜けばったばった。しか美女を吊れてだよ(古事記を読んでください。古事記って面白いです。)。
そのヤマトタケルが、弱音を吐き始めるのがこの前後です。足柄山で「ああ妻よ」と嘆いて、酒折では「筑波山からどれほど来たのか」とその土地の老人に尋ねます。とっても疲れ切っているようです。「九泊十日ですよ。」と答えた翁に国守を任ずるのですが、返歌に感激して東国を託したというよりも、「もういいやあとはよろしく。」とちょっとつらそうな感じがします。このスーパーヒーロー、誰をモデルにしているのかなあ。漢文の登場人物だと項羽だけど、わたしはオリエントのギルガメッシュを想起します。
ちょっと舌足らずですね。項羽もギルガメッシュもスーパーヒーローです。
4.三つの石碑
境内には三つの石碑があります。
一つ目は「酒折連歌の碑」です。ヤマトタケルと翁が「577」と「577」で片歌を唱和したことから、この地を連歌発祥の地として、酒折連歌のコンクールが開かれています。
二つ目は、本居宣長が本文を書いて平田篤胤が字にした石碑です。三つ目は山県大弐の文です。碑文に使われていた漢語は辞書に載ってない単語もあり、勉強になりました。
静かな境内には、平日だからかほとんどおとずれる人はいません。宮司さんの奥様とおぼしき人と近所の奥様らしき方が静かにお話しになっていました。