篁生の神社巡礼日誌③~今諏訪神社その1~

1.諏訪って国知ってた?

  日本史の資料集には「諏訪国」ってないよね。でも、あったんです。721(養老5~731(天平3)年の間だけだけど。信濃国から分離して行政区分になっていたらしい。上総国安房国みたいな感じでしょうか。でも十年で廃された。歴史にもしはないけど、信州が長野県と諏訪県に分かれていたら近代史も多少違っていたかも知れない。

 ただ、分けるのにはそれなりの理由があったんだろう。信濃が広いというだけではなく、諏訪という地域の独自性もあるなではなかろうか。諏訪大社は出雲系の神様で全国的にも存在感のある場所ではなかったろうか。

 諏訪大社は全国に2600社とも5000社ともあるという。諏訪神社の総本社で、7年に一度の御柱祭が有名だ。寅年と申年の12年に二度の祭りなのに、7年に一度というのは何でだろう。その大社の祭りの年に合わせてこの今諏訪の諏訪神社御柱祭を行う。

 2.今諏訪の御柱祭

 わたしは今諏訪の御柱祭は見たことはないが、子供が小さい頃地区の育成会の会長をしていて、白根地区の「桃っ子祭り」の親として参加した。飯野地区は「桃っ子太鼓」という、倉庫町の「高尾祭り」を下敷きにしたと思われる 太鼓を披露したのだが、今諏訪地区は御柱祭の「木遣り唄」を披露していた。哀愁を帯びたいい唄だなあと聞いていた。

 「白根町誌」によると、今はどうかは知らないが、出版当時(昭和五十年代か?)は盛大な祭りだったようで、祭りの部に詳しく記されている。それによると祭りは、上今諏訪の上社から、「お船」「御柱」「神輿」「万灯」「子供の行列」「娘の行列」「山車」の順で村内を練り歩き、下今諏訪の下社も同様に練り歩き、御柱社で合流する。祭りは最高潮に達し、やがて終わる。4月4日に行われるようである。山梨県内にも諏訪神社は多いが、これほど丁寧な御柱祭ないようである。かつては釜無川御の向こうの白井阿原まで渡ったそうであるが「甲斐国誌」によると増水で神輿が帰ってこられな苦なって以来村内での巡幸になったようである。一度見てみたい祭りだ。

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下社の鳥居は明神造り?

 3.諏訪神社下社 

 諏訪神社を訪れたのは令和2年12月10日だ。冬晴れのさほど寒くない日だ。コミュニティーバスはくねくね回りながら下今諏訪のバス停に着く。鳥居は台輪がないから神明鳥居ということになるのかな。右側には別の入り口があり、柱が二本立ち、横木を渡して注連縄が張ってあった。全体的に新しい感じだ。

 入ると左にうずたかく盛ってあるところが見えた。土俵だろうか。相撲って神事だからそうかもしれない。でも今の子は相撲なんて取らないよね。

 正面にある拝殿は朱塗りの柱が鮮やかだ。昭和40年代の竣工らしいが手入れがいい感じだ。摂社・末社がたくさんあるが何が何かはわからない。わりとしっかりした社があったが確認はできなかった。

 本殿は流れ造り、古そうです。秋葉権現、蚕天大神は確認できました。養蚕業が盛んだったからでしょうか。

 下今諏訪の方はここで神事を済まして村内を練り歩いたのでしょう。祭りって異常な興奮をきたすよね。学園祭とかも。 

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土俵みたいです。

 

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拝殿は新しい。

 

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本殿です。

 

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蚕影大神、養山の神様。

 

 

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秋葉さん

 

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3.御柱社 

  今諏訪の幹線道路はいわゆるバス通りですが、通りに戻らず小径を通って御柱社に向かう。かけ声に合わせて三歩五歩と歩むようであるから、ゆっくりと村を歩むのだろうが、夕刻頃衝くのが御柱社である。ここにそれぞれの柱を立てる。下社の柱の法がやや短いが7メートル以上ある。今子年だから、(年が明けて丑年に書いているけれど)柱はやや古びている。再来年には新しい柱になるのだろう。

 御柱社の敷地は広場か公園のようで整地されている。祭りの時にはここに何千という人が密集し歓喜の時を過ごすのだろう。由緒書きによると平成16年に修繕か改築したようだ。

 左にあった末社熊野権現であった。

 引き続き上社にGOーTO。

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本殿のみです。

 

 

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御柱社の由緒です。


 

 

 

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高さが実感できます・

 

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脇にあった祠。熊野権現神社。