篁生の神社巡礼日誌②~若宮神社(飯野の氏神様)~
1.わが氏神様
十一月のとある穏やかな午後、飯野の若宮八幡神社に参詣した。あまり寒くならないなあ。今年も暖冬かな。「日本の神社100選」という雑誌によると、全国で一番多い神社が八幡信仰の神社だそうだ。7800社以上あるらしい。第一回でレポートした桃園神社もそうだった。
桃園神社も桃園村の村社だったが、この若宮神社も飯野村の村社である。いわゆる「村の鎮守の神様」だ。我が家からは徒歩で二十分ほどである。大晦日には飯野各区から集まった氏子総代や祭事部の役員が初詣の準備をし、住民の全戸に(アパートとかは配られないかも知れないが)お札が配られる。成人式には地区の新成人が集まって、お祓いを受けてから市の成人式に向かう。お盆過ぎの二十何日だかには、各区が組み立てた櫓に提灯を飾り電灯をともし、「お灯籠祭り」をする。村の神様だ。
2.参道を行く
参道の入り口に石柱がある。裏には、「お灯籠祭り」の説明が書かれている。お灯籠祭りは、昭和の頃一時祭りが中断されていて、復活されたらしいので、その頃立てられたのだろうか。祭りの時には、櫓が十基近く並び、彩色を施した多くな提灯が並び、(灯籠といったほうがいいのかな)一般的な丸い提灯はその何倍も飾られて、去りゆく夏を惜しむように輝く、壮観な光景である。人並みもそれに劣らず多い。
祭りの時には車両は通行止めとなり、灯籠の下には各区の人達が集まっては飲食を楽しむ。屋台も立つし、盆踊りや花火もある。しかし、普段は二車線の生活道路である。鳥居の手前で東にカーブする。
鳥居にも様々な種類があるようだ。この鳥居は一番上の横木(木ではないが)が反っている。笠木と島木というらしい。左右の柱がその横木と接合する部分に輪のようなものが見える。これは台輪というそうだ。鳥居は祭神にかかわらず、神社によって様々な鳥居が採用されているらしい。八幡鳥居というものもあるようだが、これは台輪鳥居というもののようだ。鳥居も要チェックだね。
鳥居をくぐる時に脱帽して一礼。マナーであるが、物の本で読むまでは誰も教えてくれなかった。わたしの周りには信心深い人は少ないらしい。左手に由緒の書かれた掲示板。まだ村が飯平という山付きの場所にあった頃からの氏神様であったようだ。村ぐるみの移転によってここに鎮座されたらしい。飯平は訪れたことがあるが、今は人家はなく、桜を植えて公園っぽくなっている、御台扇状地を見下ろせる小さな丘陵という感じだ。三大王子神社という小さな祠があった。
参道には人気はなく、石灯籠と落ち葉が迎えてくれる。その向こうに「随身門」。ここのは「随神門」ではなく、「随身門」らしい。違いはなさそうだ。由緒書きと同じく
左手に手水がある。ちょっと驚いたのは、由緒書きも手水も随身門も屋根が銅板葺きであること。お金かかっているなあ。こういう驚き方は不謹慎?
3.随身門から拝殿へ
随身はとても鮮やかです。最近お色直しをしたのでしょうか。随身をその気になって見るようになったのは最近ですが、右側の神様は白い長いひげを生やしていて、左側は黒い短いひげでやや若めですね。そういえばおひな様の右大臣左大臣もそうかな。そして、随身は台のようなものに座っていて、右神は右足を曲げ左足を垂らし、左神は左足を曲げ右足を垂らしています。そういうもののようです。
随身門をくぐって拝殿へと向かいます。
右側に説明を書いた立て札がありますが、旧白根町の文化財指定のいきさつが書いてありました。本殿が(奥の小さな社ですが)桃山時代の風を残す江戸初期の建築を説明しています。町村合併で市になったので新しく表示を貼ったようです。
拝殿だって、そんなにおろそかにするものではない。安政年間に立てられたものらしく、前にある石の狛犬だけでなく、登壇する階の左右の柱の上を見ると、狛犬の彫り物がある。意匠凝らした装飾である。阿吽がはっきりわからず対照が認められないのは、下から見上げているからであろうか。光線の加減か情けない表情に見せる。(素人の印象でごめんなさい)ただ、中央の龍は見事ではないかな。たぶん江戸時代の職人は、名もない宮大工でもこのような細工はできたんだろうな。いや、名工かも知れない。
4.本殿その周辺
かつて、息子が帰省中に、友達からメールが入った。南アルプスの八幡宮の本殿を見学に来ているとのことだ。友達は大学の建築学科の学生だそうだ。そんなご立派な神社があろうとは思いも寄らなかったが、どうもこの若宮らしい。本殿は「一間社流れ造り
」というらしい。学生が見学するに値する名建築らしい。良さそうな感じだが、わたしが評価するにはもう少し目を肥やす必要がありそうだ。よくわからん。
大体、本殿と拝殿を間違えていた。大きな正面にあるものが本殿で、奥にあるちっちゃいのが奥殿と思っていた。本当は奥の小さなご神体を納めているのが本殿で、前にある人が上がり込んでもいいところがハイデンで、次の大統領がバイデンなのだ。たぶん、切り妻造りのいい社なのだろう。大正だか昭和だかに解体修復したらしいので、資料も残っているのかな。
お祭りでは、本殿は、誰も見ない。神社は見るものではなくて拝むものなのだろう。
境内には、いくつかの石碑があった。句碑(俳句の盛んな地です。)モニュメントの由来など。この地が由来というわけではなく、ここに来た人に地元の事跡を知らせようとう意味合いしい。
摂社は山の神。「冨士浅間大神」の石碑も隣にある。
5.三宮神社
「甲斐国寺社記」によると、若宮には摂社として、築地新居の神明宮と本社西にある三宮神社があるそうである。神明宮はわからないが、三宮神社は確認できた。というのも、毎年お札を配られるときにほんとに薄っぺらであるが、三宮神社のお札も添えられているのである。社記には「祭神相不レ知申候」とある。
以前にも参拝したのだが、今回も寄ってみた。
若宮八幡宮の西、200メートルくらいかな、ぽつんと感じである。でもどなたかが丁寧に管理しているらしく、とてもきれいだ。鳥居や社の柱が真っ赤だ。「奉納」と書いてある、賽銭受けのようなものにミニチュアが捧げられている。これは狐の人形かな?
奥殿と言っていいのか、石祠の両脇には狐。お稲荷さんらしい。誰かが誠実に祀っているのだろう。
その見えない姿が、美しいと思う。
次はどこを参ろうか。