篁生の神社巡礼日誌③~今諏訪神社その2~
1.なぜここまでこだわるのか?上社。
今諏訪という土地は大まかには扇状地に一部であるが、河岸段丘的に丘の上にある。丘の上から釜無川を見おろす感じである。太古の人々は、水難の恐れのない丘の上に集落を構えて河川敷に水田を、丘の上に畑を耕作したのだろうか。上今諏訪には「おつき穴古墳」という円墳がある。小さいし前方後円墳ではないのだからヤマト王権とはあまり関係のない地方豪族の墓陵だろう。 原始の諏訪信仰に関わる部族がいたのかもしれない。もっと上の飯野牧には渡来系の豪族がいただろうから。わりとつつましく豪族を張ってたのかな。証拠はないから空想の域だけれど。この辺、社が多いみたい。
上社を訪れました。案内図を見ますと、上が北の地図なのに神社の敷地の中だけは南北が逆に(視線に準じた方角で)描かれているのでとまどいます。
2.本殿参拝
五本杉は何が五本かわからない。続いて原山祠と夫婦石がある。別所から移した世である。地図とは違うけれど左側に相撲辻がある。辻ってなんだ?案内板にはそう書いてある。
あれっ、鳥居の写真がない。うっかり。
手水場、随神門、社務所と通り、拝殿に向かう。唐破風の厳めしい拝殿です。
3.神社建築
二礼二拍手一礼。
神社の造りには屋根の平らな部分を正面に見せる神明系と三角に見える部分を正面に見せる大社系があるようです。わたしの印象としては神明系がほとんどの気がしますが。
この神社も正面が三角ではないよな、と思って脇を通って本殿に向かいます。と、あれっ、拝殿の後ろ、大社造りの向きじゃないか?それに続く本殿も大社系だよね。どうしてだろう。もうちょっと神社巡りを重ねるとわかってくるかな。
祠もお蔵もいっぱいあります。
おもてのバス通りは初詣の準備。できるのかなあ。
4.十三所社、春宮、秋宮、中島社。
本家の諏訪神社には、上社に本宮と前宮、下社には春宮と秋宮があるようだが、「甲斐国誌」によると今諏訪には、春宮、秋宮、御柱宮、雨宮の四つの末社があったという。雨宮は雨乞いの神様の一つだろうがどこにあるかわからない。
たぶん巡幸の時にはそのお宮を訪ねてのだろうなと、回ってみた。北に進む。
旧十三社がアルプス通りの南側にあった。十三所社は移したらしく、 アルプス通りの 北側に新しい十三所社がある。 十三所社には春宮が末社としてある。道路の拡張かなんかで移築したのなら旧社があるのが不思議だ。春宮はそれとおぼしき祠が二三あったがどれかわからない。「当(當)邑中」という刻字が気にかかる。どういう意味だろう。
更に北に進むと秋宮、中島社があった。小さな祠だが、本家に準じようとの気概かなあ。きれいに管理されていた。損得ではない人の営みを感じる。個人の感想だが。
さて、次はどこへ行こうか。