西郡33観音霊場巡礼日誌 十番 有富山蔵珠院
1.御詠歌がありました 「父母の恵みも深き園の山玉の臺(うてな)にあうぞうれしき」 歌意はどうなんでしょう。「園」は桃園としたら「桃」は父母の恵みを象徴することになるのですが、故事には見当たらない。観音様は父母のごとき慈しみがあるといえばそうでしょうが、二番の金の山みたいに固有のいわれがあるかもしれない。「玉の臺」は宝石のように美しい蓮華の台という意味で、わたし流に解釈しますと、「お父さんお母さんの恵みを深く受けたこの桃園の有富山の玉台にいます観音様に会うことはうれしいことだ。」ということになります。
2.第十番 西日の差した石標には正面に「第十番 有富山蔵珠院」側面には御詠歌、裏面には、昭和56年に桃園の浅野貫一さんが立てたことが刻字されています。 浅野さんのお名前はご詠歌集や他のお寺の石標でお見かけしましたがここ桃園が地元の方のようです。40年近く昔の石標です。今でもご健在なのでしょうか。山門の反対側には山梨県有形文化財指定の六地蔵幢の石標もあります。上部に六地蔵が彫られた六角形の石幢には下部には経文が彫られているのでしょうか。古そうです。
3.二つの観音様 観音様が二体ありました。どちらも新しそうです。向かって左側、夕陽を背に受けているのが有富観音と書かれているものです。檀家総代を務めた方がご夫婦で寄進されたもののようです.右側正面に陽を受けているのが慈母観音、これも寄進されたものでしょう。左手で赤ちゃんを抱いています。どちらも女尊ですね。観音様は元は男だったのでしょうが女性と見る像も多いですね。
日が短くなり冷気には確実に冬の訪れを感じます。