西郡33観音霊場巡礼日誌 四番 万年山善徳院

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山寺の通りはカエデの紅葉が鮮やかでした。写真を撮り忘れたので二日後、雨の日に撮影しました。

 

1.紅葉の並木の向こうに 立冬は過ぎたので暦の上では冬なのでしょうが、晩秋と呼ぶのがふさわしい季節です。旧櫛形町山寺は市街地の小笠原からは西に1キロほど、扇状地の際で、近くには柿平という地名もあります。坂を上るとその先はあやめが丘、千と千尋の神隠し」に出てくるような住宅地があります。平岡という昔からの集落もあります。山寺も昔からの集落だったのでしょうが、造成分譲した宅地も多いようで、そういった所は瀟洒な並木があります。善徳院を訪れた11月20日は街路樹の紅葉が鮮やケヤキの大木のかでした。カエデの一種でしょうが、いろは紅葉よりも大ぶりでわたしは子供の頃「やつで」と呼んでいたのですが、「やつで」は形は同じですが常緑樹らしいので間違って覚えていたらしい、紅葉する大ぶりのカエデです。欧米人は紅葉は血の赤を連想させて歓迎しないというような話を子供の頃聞いて、そうなんだ、紅葉を観賞するのは東洋人、とりわけ日本人の感性なんだと思っていましたが、最近は紅葉狩り目当ての外国人観光客も多いようですね。金色の公孫樹、色とりどりの大欅、秋の桜並木など紅葉、黄葉はわたし達の心をくすぐります。

 

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歩道には落ち葉

2.古い石碑 善徳院には「四番観世音」と読める石碑がありました。昭和後期に角柱の石標は浅野貫一さんの立てられたのも含めていくつか見かけましたが、ここのはそれとは違い、かなり古そうなものです。山門もあり、本堂も大きめで、「三界萬霊等」と刻されている石碑、六地蔵、その他の石仏があります。三界萬霊等とは三界全ての霊あるものを救済するようにとの意味ですから、観音様への回向のために誰かが立てられたのでしょうか。甲斐国誌によるとこちらのご本尊はお釈迦様のようですが。 山寺にはお寺は二つ。字の由来はこちらのお寺からでしょうか。それともこの岡の上にある伝嗣院に由来するのでしょうか。

 

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四番と見えます。古い。

 

  

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3.仏、菩薩、観音 観音様って何?いやその前に仏様って何?門外漢のわたしが書くことなので笑っていただいて結構ですが、怒ったりしないでください。とんちんかんなこと言ってるかもしれないですが。仏様ってお釈迦様のことだと子供の頃は思っていました。「のんのさま」とも言っていました。ところがそうではない。小学生か中学生の頃「徒然草」の「八つになりしころ」とかで読んだのですが、仏様ってどうしてできたのって八歳の頃兼好は父に聞いたそうです。すると父は前の仏の教えを受けてなったのだと答えたそうです。すると兼好は聞き返します。ではその前の仏はどうしてなったのと。父はその前の仏に教えてもらったのだという。兼好がそれでは最初の仏はと言うと父は天から来たのか地から湧いたのかと言って笑ったとか。高校時代の倫理の授業でもキリスト教イスラム教は一神教だが仏教は多神教だと習いました。たくさんいるのが仏様なのですね。仏は仏陀と言います。仏陀梵語で「悟ったもの」という意味です。お釈迦様も仏陀ではありますがその他にもいっぱいいるわけです。密教金剛界では五仏といえば大日仏、阿閦(あしゅく)仏、宝生仏、阿弥陀仏、不空成就仏を指すそうです。お釈迦さんはいないのですね。この仏様は如来とも言います。仏陀は漢語への音訳ですが、仏陀以前には浮屠(ふと)とも訳されていました。 この「ふと」に「け」がついた「ふとけ」がほとけの語源のようです。そしてその仏になろうとして修行している前段階が「菩薩」なのだそうです。だから菩薩がたくさんいれば仏もたくさんいるわけです。(こんな説明で良いのかなあ。)弥勒文殊、普賢、日光月光、勢至、地蔵そして観世音などが菩薩の代表ですね。本当は仏になる資質はあるのに逢えて菩薩のとどまって現世の衆生を救済している存在とも解釈されているそうで、観世音菩薩もその一人だそうです。

 観音様は俗に六観音とか七観音と言われる、聖観音(正観音)、千手観音、十一面観音、不空羂索観音馬頭観音如意輪観音、準胝観音などがありますが、三十三観音という分類もあります。西郡33観音霊場ではご本尊は観音が七寺、正観音が一寺、十一面観音が五寺、如意輪観音が二寺、千手観音が二寺、曰不見(?)観音が一寺、観世音堂が一寺ありました。本尊はその他には「生身の仏牙」仏舎利ではなくてお釈迦様の歯?とか毘沙門天、釈迦、阿弥陀仏勢至菩薩、地蔵、子安地蔵、文殊菩薩などがあります。甲斐国誌によると。

 観世音菩薩は「世間の人々の救いを求める声を聞くとただちに救済する求道者(ブリタニカ国際大百科事典)」の意で「観音経」では三十三の化身を持つそうです。それで霊場は三十三カ所あるんですね。でも他にも本尊が観音様のお寺はいっぱいあるので、この三十三ヶ寺がどうしてチョイスされたかはわかりません。

 巡礼をしながら考えるのも変なのですが、「救われる」ってどういうことなのだろう。そんな疑問が頭をもたげてきます。