西郡33観音霊場巡礼日誌 六番 慶昌院

1.廃寺 慶昌院、「甲斐国誌」では南補山慶昌院となっています。このお寺は石川靖夫さんの「全国三十三所集録」では、「廃寺となり、本寺の同字(下今井)八四一隆円寺に本尊は移されているという。」と書かれています。何とも手がかりのない話で、一回目の巡礼では隆円寺で変わりを済ませようかと思って訪ねました。お参りを済ませてそれでもうろうろしていると作務衣を着たご住職様らしい方がやって来ます。思い切って「慶昌院というお寺をご存じですか。」と聞くと、「確か先代がそういう寺が昔あったと言っていました。」と語られました。もうその場所は跡形もなくなっているとのことでしたが、だいたいの場所を教えていただいて訪ねてみました。

 南アルプス市教育委員会の方に以前、廃寺を探すには墓石を目当てにするのが良いと伺っていましたので、墓石などの痕跡がある所はないかとうろうろしたのですが、ずいぶんよじれていて幹も折れてはがれているところもあるのですが、大きな木があり、その根元に蓮台に乗っているお地蔵さんや一列に並んだ石塔を見つけました。何の関係もないかもしれませんが、手を合わせました。南アルプスの廃寺・・・クララやペーターもいるのかなあ。くだらないだじゃれでごめんなさい。(わからない人!アルプスの少女ハイジですよ!)

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このあたりらしいのですが・・・

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何の木だろう。

2.充富山隆円寺 再び訪れた慶昌院跡と隆円寺。隆円寺は「甲斐国誌」によるとかつては龍淵寺といっていましたが、水難に遭ってから当地に遷して隆円寺と改めたそうです。隆円寺の境内からは北岳間ノ岳が銀白にみえます。さすが白根。後ろ姿の阿形像と九重(かな)塔を両脇に控え神々しい。文殊普賢を脇侍したお釈迦様みたいといったら不謹慎?

3.観音様オールスター 山門をくぐると左手に白壁が続きます。壁の内部に空間があり、火灯窓というのでしょうか、釣り鐘のような形の窓から石の観音様が一体一体姿を見せています。今までのお寺で見てきた石仏と違って統一感があります。よく見ると四角い台の部分に番号が振ってあります。31,32,33と順を送ってみていくとその次は石塔で、板東・秩父の文字が見えました。これって札所の数?その次からまた1,2,3・・・途中角を折れて・・・33,34まできたら石塔があってまた1,2,3・・・尽きたところで反対側を戻るように続いて・・・33,34。そこで塀も区切りよく切れます。観音様は様々で右手を上げて左手は手のひらを上にして前に出しているもの、これは聖観音かな。合掌しているもの。千手観音。頭の部分が大きいのは十一面観音なのか、馬頭観音なのか。番号が書かれた台座には「江戸なんとか」「なんとか普請」とか人名地名とかが刻まれています。ちゃんと見ていなかった入り口の所に戻ると、最初が一番の観音、次の石塔には「西国」の文字が見えました。

 推測ですが、どなたか(おそらく何代目かのお住職さん)が募って寄付や寄贈でこれだけの観音様をそろえたのではないでしょうか。ここを歩くだけで西国、秩父、板東の観音霊場全てを巡礼したことになりますね。ところで秩父は三十四観音霊場なんだけど、板東は三十三観音霊場のはず、なんで34番まであるのだろう。機会があったら関係の方にお伺いしたいものです。

 その他にも六地蔵、大きな観音様、石灯籠などがたくさんあってきっと寺格が高く檀徒も多い名刹なんだろうなと思いました。保育園も経営しているようです。

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真っ白な北岳間ノ岳、九重塔かな。金剛力士も背中から見るとセクシー。

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山門を入ると左側の白壁の中に小部屋のような空間があります。

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西国、秩父と続く観音様。一枠に一体づつ。

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正面が保育園、左右に秩父、板東札所の番号が書かれた観音様が並んでいます。

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本堂には保育園が併設されていてフェンスの向こうでした。