西郡33観音霊場巡礼日誌 十七番 普春院

1.廃寺ではあるのですが 普春院、甲斐国誌では「不春院」。瑞雲山古長禅寺の末寺です。本尊は観音。石川靖夫氏の「全国三十三所集録」では、「古長禅寺の東南、鮎沢果実組合集荷場が南にある。古長禅寺の末寺で大井夫人ゆかりの寺であったというが廃寺となっている。」とたあります。大井夫人は武田信玄の母です。 古長禅寺は名刹、大井夫人の墓所、天然記念物のビャクシンが有名です。 

f:id:haruniwa2019:20191208164814j:plain

JAの共選所です。

 

2.再訪 実は、この巡礼再訪に当たって最も気になっていたものの一つがこの普春院なのです。普春院は、次回に紹介する無量寺と共に山号がありません。古長禅寺に隣接しているからかな。同じ曹洞宗でほぼ同じ敷地内ですからね。とはいっても、普春院は廃寺。あとあと再訪する小林の竹隠寺や長沢の千手院みたいに跡形もない更地の後に何かが建っているかというとそうでもない。うっそうとした竹藪がJA共選所の北側にあるのです。前回、平成31年1月14日に訪れたときは、その竹藪の中に建物らしきものがあったのです。気にはなったのですが、あまりに藪が深いので、それに満願、結願を早くと祈る気持ちも強かったので、ただただ遠くから祈って立ち去ったのです。もしそれが普春院の堂宇だとしたら、でも、破損がひどくて。それに、意味ない荒れ地として更地に整備されちゃったなら、などと勝手に気を揉んでいたのです。

 今回訪れて、十一ヶ月前のような矩形の影が見えないので、多少焦りました。藪もいっそう深くなっていました。何もない。1年!1年がそうさせるのか!それとも一年前の藪の中の堂宇が幻だったのか?そんな変な高揚した気分にとらわれたのですが、よく見ると、人工物らしい直線的なシルエットがある。

 思い切って今回はその藪に踏みいりました。(いいのかな。微妙な倫理観。) 

f:id:haruniwa2019:20191208164608j:plain

藪の向こうに確かに何かある。

 

3.信仰の証 共選所のある南に回り込みそこから入ります。経験上、寺院は南向きに建っていることが多いので、南からアプローチする方が有効な手がかりが得られるだろうとの目算もありました。朽ちた角材や板材が重なるように積もっている。 

f:id:haruniwa2019:20191208164325j:plain

  これは壁?昔の壁は竹で格子を組み、わらを混ぜた土で塗り固め、漆喰で表面を仕上げたいたのでしょう。下部の漆喰と常備の竹組が見えます。そして、お寺によくある灯火窓。これが普春院かどうかはわかりませんが、寺院の建物の一つであることは確かなようです。円通院ほどの大きさかな?もちょっと大きいかな?窓を確認しましたが、ガラスが使われています。古くはないですね。

 わたしは思いました。今、藪を切り払い、朽ちて倒壊したこの堂宇を補修したら、建物がよみがえるのではなかろうか?おそらく本尊は本寺が預かって管理しているのだろうし。それを訴えるべきなのか?それとも、今、このような情景が目の前にあるのは、かつての人々の仏に対する心が別の所に移ったとして静かに朽ちるのを見守るほうがいいのか?(実はたいした建物ではなく、わたしの妄想かもしれませんね。)

 通りすがりの巡礼者、ブログで事実を報告するしかないのかなあ。読者はとても少ないだろうけど。

 藪に入って、バカだらけになりました。冬場はバカが多い。(バカとは、方言でいわゆるひっつき虫、衣服につくセンダングサのことです。これ、くっつくとはがすの大変で、いやなんだよね。) 

f:id:haruniwa2019:20191208164147j:plain

建物の痕跡。

f:id:haruniwa2019:20191208163721j:plain

あった、火灯窓。お寺だよね。