西郡33観音霊場巡礼日誌 二十九番 長光山久円寺

1.折り返し点 二巡目の巡礼もここ長光山久円寺が十七番目、三十三カ所ですからちょうど折り返し点。一回一寺でもっとゆっくり回ったほうがいいのかもしれませんが、根がせっかちですのでどうしても欲をかきたくなります。それに廃寺となるといつ朽ちるか、更地にされるかなどと気を揉んでしまうのです。まだいくつか廃寺や無住のお寺があるのです。

2.鮮やかな九輪 長光山久円寺は本堂が鉄筋コンクリートの建築です。門前に萬霊塔。門には久圓禅寺とありました。本尊は、観音と子安地蔵。新しげな寄進物が多く、元気な感じのお寺です。本堂前に常夜灯が二基、真ん中に線香やろうそくに点火する鼎の香炉かな ?雨よけの屋根には九輪が乗ってます。その先、本堂の真ん中にも銀色鮮やかな九輪塔。見上げる形なのでよくわかりませんが、宝形造りなのかなあ。宝形造りとは建物の中心から四面に屋根が流れる、いわばピラミッドみたいな形です。左脇にあった観音堂が宝形造りですね。観音堂の中をうかがうと、暗い中に真ん中に黒い古仏と思われる仏様、左右に一体ずつ、三体の仏様があり、半紙に毛筆で「如意輪観音」と書かれたものや、ご詠歌が貼られてありました。石仏もたくさんあります。

 お庭の松はお見事の一言に尽きます。水平方向に十メートルはある枝が三方向に伸び、垂直方向にも一本伸びた絶妙のバランス。松は常緑樹、柏と共に永遠のいのちの象徴ですから、お寺には多く植えられています。でもこれだけのものはなかなか・・・あっ、一言ではすまなかったですね。

3.ご詠歌 「久方の円かな月は即菩提長き光は浄土なるらん」国語なんてものに携わっていると、ちょっと重箱の隅をほじくりたくなります。古文ならば「円かな月」は「円かなる月」だろうなあ。江戸時代の作なら口語では「円かな月」と言っていたのでしょう。でも形容動詞「円かなり」の連体形は「円かなる」です。係助詞の「は」をとって「円かなる月」でいいような気がします。「久方の」は月にかかる枕詞、訳しません。「久方の円か」で久円寺を表しているのでしょう。「長き光」が長光山。歌意は「まん丸なお月さまはすなわち菩提(悟りの境地、あの世)でそのいつまでも差している光はここを浄土としているのだろう。」といったものでしょうか。細かいところがしっくり訳出できないのですが、ここは浄土、悟りの地、的な内容だと思われます。

 境内にご詠歌の石碑がありました。裏面には「天保十二年 西郡筋三十三番観音霊場 第二十九番 久円寺御詠歌 平成三十年十一月 本尊開帳記念」とありました。表面は「円かな月は」の部分が「円の月は」となっています。「まどかのつきは」と詠むならば字数もあってるし、形容動詞の語幹に「の」がつくのは感動を伴った表現としてありなので、問題ないでしょう。だれか思い込みで書き違えたのかな。あるよねえ。自戒。

 さあ、ターン。でもゆっくり、焦らずに。それが難しいんだけど。

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本堂は鉄筋コンクリートの建築です。

 

 

 

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観音堂でしょうか。中をうかがうと如意輪観音と書かれた紙や、ご詠歌が書かれた紙が貼ってありました。観音様が新旧三体ありました。

 

 

 

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ご詠歌です。

 

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鮮やかに輝く本堂の九輪