西郡33観音霊場巡礼日誌 三番 普門山来光寺

1.その如月の 二月も下旬になりました。行動に優先順位をつけると巡礼は後回しになってしまいます。まあ、フィニッシュを桜の満開のころとして逆算すると急がなくてもいいんじゃないかなと思うところもあります。 西行法師の和歌に「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃」というのがあります。西行さんは平安時代末期の歌人です。全国を旅しました。山梨にも南部町に西行峠という名の峠があり、そこで子供と和歌のやり取りをしたという、いわゆる「西行伝説」が残っているようです。

 歌意は、「できることなら桜の満開の花の下で死にたいなあ。如月(旧暦二月)の満月(十五日)=お釈迦様入滅の頃に」というのですが、西行さんは2月16日に亡くなったそうです。旧暦は新暦と一か月ずれますから今なら3月半ばですね。

 この来光寺を除くとあと九つ。その頃結願かな。 

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門には普門山の扁額がありました。

2.かっこいい扁額 来光寺はそれほど大きなお寺ではありませんでした。南アルプス市立落合小学校の近くにあります。山号の扁額、かっこいい字だなあと見ました。特に「門」。禅宗の僧はこういう字を書きますね。往々にして読めないけど。左隅に「南明大?」と読めます。来光寺は富士川町(旧増穂町)小林の補陀山南明寺の末寺ですから、本山の大?上人が揮毫なさったのでしょうか。ご本尊は観音様です。 

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如意輪観音。新しそう。家族で奉納されたようです。

 

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門の脇の石標。古くて字が欠けていますがわずかに「法華経典三十」と一部読めました。

3.いろいろな祈り 久々の巡礼、門をくぐると一つにまとめられた古い石仏、家族で寄進したと思われる新しい如意輪観音などがありました。門の脇の石標は古くてよく読めませんが「法華経典三十」とありました。法華経は28品ですが開経と結経を合わせると30巻になるのでそれにまつわる勧請とかなのかな。それぞれがそれぞれの祈りの形かと見ました。巡礼は前回が1月26日ですから約一か月ぶり、受験生ならセンター試験が終わった直後から国立大学2次試験前期入試の直前へ、世間では新型コロナウィルスで武漢封鎖が1月23日で、まさかひと月足らずでこんな状態になるとは・・・受験生の健闘を祈ります。感染症早く鎮静化することも。人々が風評に惑わされていやじい心根をさらけ出さないように。みんな嘘なんかつかないで正直に生きるように・・・でも、わざわざ巡礼をするのは多少なりとも自分にかかわる人の幸せを優先的に祈っているのだから複雑な気持ちにはなります。そのほかの人の不幸を祈っているわけではありませんが。

 とにかく手を合わせます。おやっなんか変?この本堂、階段が真ん中じゃない。結構ずれてる。でも、増築じゃないよね。寄棟づくりだけど棟は左右等しい勾配でできているもの。どちらかというと、本堂の機能を左側に寄せて縮小して、庫裏のような居住スペースを右側に確保した感じ。本当のところどうなんだろう。祈りよりも好奇心?ダメですね。

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扁額は読めません出した、