西郡33観音霊場巡礼日誌 二十三番 法然山源空寺

1.仙人みたいな老人 ここは前回順礼したときに不案内で迷いました。(たぶん浅野さんが確認された地番に該当する住居がなくてナビに反応しなかったからなのかなあと思います。)それでも増穂町のHPを頼りに尋ねました。文化財があるようなのです。

 舂米373辺という情報をたよりに車を進めると坂を上りきったところにいくつかのお墓が見えました。道祖神があって、その横に駐車できたので車を停めて右に回って進みました。すると、そこには墓地があって、案内板がありました。その先には墓地があります。案内板には「指定名称 舂米の六地蔵石幢(旧源空寺跡) 解説 推定元禄年間(1688-1703)の造 石幢は供養のための建造物だが、この石幢は室町期以降、庶民の間に浸透した地蔵信仰の形態を示すものとして注目されている。 安山岩製 高さ1.33メートル」とあります。

 廃寺になってはいるけれどここだな、と墓地に踏み入ってぎょっとしてしまいました。かなり痩身で小柄な老人が、しゃがむというか寝そべるというか、石幢の傍らに横になっているのです。かなり高齢のようです。眠っているのかどうなのかあまり動きません。不思議な雰囲気を醸し出していました。ちょっと声をかけることもできず、遠めに合掌してその場を去りました。あの老人は何者であそこで何をしていたのだろう?仙人みたいだったなあと1年以上たった今でも思い出されます。 

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道祖神の奥に墓地が・・・

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教育委員会の解説板

 2.絶景の丘 今回の参拝に老人はいらっしゃいませんでした。ゆっくり拝見しました。石幢は六角形、その奥、丘の際(きわ)には「味噌地蔵」が赤い前掛けをつけて、赤い頭巾をかぶっています。「地蔵さんに味噌を塗り付けて病気治癒の祈願をした」と説明されています。お地蔵さんがほかの石材より黒ずんで見えるのは味噌を塗られたから?眼下には甲府盆地の絶景。うららかな春に日差し、気持ちいい。写真には写っていませんが梅が満開、桜ももう少し。

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味噌地蔵

 

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眼下に広がる甲府盆地

3.浄土宗のお寺 法然源空寺のお名前の通りこちらは浄土宗のお寺だったようです。 浄土宗の開祖は法然上人、諱(いみな)は源空。西郡33観音霊場で浄土宗のお寺は二つ。二十一番の南アルプス市甲西町の荊沢にある阿弥陀寺とこちらです。本山はどちらも(今は甲府市の)東光寺村の帰命院です。なぜ観音霊場の仲間入りしたのか?「甲斐国志」には両寺とも本尊が何かは書かれていません。

 朽ちかけたような掘立の柱が二本、それに渡した棒に鐘がかけられていました。雨ざらしですが錆びてはいません。青銅製?戦時中に接収されなかったのかな?梵鐘は、上部のつぶつぶの部分を「乳」、撞木で撞かれる部分を「撞座」、中段の平面の部分を「池の間」というそうですが、その池の間の、どちらが表なのか分かりませんが、一つの面に「甲州巨摩郡舂米村法然源空寺」と反対面に「嘉永七年甲寅二月北組中」と刻字されています。嘉永七年は1854年、ペリーの黒船が再来航して日米和親条約を締結した年です。わあ、歴史を感じるなあ。

 時は流れ、人は去り、建物は朽ちていく・・・石や金属は変わることなくそんな人の営みを見つめ続けている。諸行無常です。

 かなえられない願いもあり、かなえられる願いもある。願っている本人もいつかはこの現世というステージから去っていくのですが。

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甲州巨摩郡舂米(つきよね)村 法然源空寺 とあります

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嘉永七年二月とあります