西郡33観音霊場巡礼日誌補遺 十四番 大神山伝嗣院

1.再訪伝嗣院 4月になりました。時間がたっぷりできました。でも、やること、できることがなくなりました。図書館は閉館しているし、カルチャースクールは開講延期だし、コミュニティバスの定期を買ったけれど、乗るとなったらそれは不要不急の外出ということになるだろうし。病院も電話診察にしてもらって、クスリを処方してもらいました。都会では公園での散歩も密にならないようにとのこと。

 田舎の良さの一つは人口密度の薄さでしょうか。体がなまるので散歩をしますが、道を選べば人とほとんど接触せず何時間も歩けますね。

 ということで、歩いています。順礼は完結したのですが、今回伝嗣院を麓から上ってお参りしたので、それをレポートします。

 

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麓の登り口見つけた!

 2.麓からの道があったようです ウォーキングのためですから負荷をかけようと、今回は櫛形総合公園の駐車場に車を駐めて歩き始めました。数十台は駐車されていましたが、何百台も駐められる駐車場ですから密な感じはしません。人も少なめ。子供も少ないようです。平日だからなのかな。一斉休校と自分の立場の変化で曜日の感覚が変になっている感じです。歩いている人、ランニングしている人ちらほらいます。みんなマスクをしています。二人連れが多い。

 総合公園から滝沢川を渡って西に進むと丘のへりに当たります。見上げると青いシートをかけた建物が丘の上に見えます。あれはきっと伝嗣院の前にある特別養護老人ホームの「櫛形荘」だなと目星をつけて、登り口を探しながら南へ曲がります。順礼の時は田頭集落の北側、曲輪田集落からゆるやかな坂を上がってお参りし(もちろん車でですが)、帰りは急坂を下ったので、その急坂を探しました。

 500メートルぐらいいったでしょうか、深沢川に架かる橋の手前に斜めに上る道があってその脇に「櫛形荘」と「伝嗣院」の看板がありました。横にある説明板は文字の色があせてわかりづらい。お寺の由来が書いてあるのだろうけれど、ほぼ遺物がないここで、徒歩ならともかく、車を駐めて説明を読む人はいないでしょうね。色あせるのもわかります。

 二十メートルほど行くとお地蔵様と、大神山の石碑、説明板がありました。遺物がないと書いたけれど、よく見ると石積みもあちこちに認められます。これもペンキの色が落ちた説明板をがんばって読むと、ここから直登する参詣道があって、それは田頭へ続く生活道路でもあったようで、最近まで使われていたようです。とはいっても説明板自体が絶対昭和の代物ですが。

 チューリップ、誰かが植えたのでしょうね。自生しているタンポポもかわいいです。

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大神山の石碑

 確かにつづれ織りに道が延びているようです。でも行けても牛馬までですね。車輪系の乗り物が通ることができるようには思えません。 この道を分け入る勇気はないので車道を歩きます。

 

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つづれ織りに参詣道が確認されます。

 

3.石仏 しばらく行くと 車道は急登になります。そのなりぎわで斜め左に上るやや狭い道と交差します。その道を選択しました。あるものに当たりをつけていたからです。

 木々が密になってきて鳥の鳴き声も間近に聞こえます。ウグイスも個々に個性があるようできれいにホーホケキョと鳴くのもいるが、ケキョケキョとばかり鳴いていてホーホケキョにたどり着かないのもいる。西川のりおみたいにだみ声なのも。他にも魅力的な声が聞こえるが、どんな鳥かわからない。ヒバリはわかるがここにはいないようだ。原っぱの鳥だからね。夏も近づきつつあり(ほどなく八十八夜)寒くはないが、林の中は湿気を帯びた冷気が漂い爽やかだ。

 道は深沢川の北を直登する道と合流する。林は途切れ、丘になっているところに大きな木が一本。緑の葉も見せているがまだピンク色の花もかなり咲いている。桜じゃないよね、桃かな。どちらにしても季節がちょっと遅い。そしてその下にモニュメントのシルエット。

 実は以前伝嗣院の画像を検索したとき丘に立つ石仏を見かけたのです。伝嗣院の寺領のどこかにこんな石仏があるんだなあ、丘の上ならこの辺かと目星をつけて道を選んだのでした。

 やっぱりありました。

 

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案内板には大日如来石仏とあります。

  案内板はこれも色あせていますが読めます。平成3年12月13日の日付です。目新しく「南アルプス市教育委員会」とテープで貼っているその下には櫛形町教育委員会と書かれているのでしょう。説明によると土地の人には「おでいにちゃん」と呼び親しまれている大日如来像だそうです。高さは1.6メートル、大仏とはいえないですね。富士山を向いているそうです。ここの参道は「御幸道(みゆきみち)」というらしい。

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背後の木は何の花かな?

 下部を二つ、上部を一つの三つの石材を合わせて作られています。柔和な顔立ちです。いいなあ。気取ってない。木喰仏や円空仏に通じる江戸時代らしさを感じます。印を結んでいますが、大日如来の印は智拳印というようです。直立した左の人差し指を右手の拳で握る印だそうですが、アレッ左右逆じゃね?

 それにしてもこの石誰がどこから運んだのだろう。さぞ重かったろう。下から?上から?宗教的情熱だよね。それも理想とか理念とかではなく、もっと皮膚感覚に近い。近代合理主義に染められた僕らが失いつつあるマインド。

 大日如来は宇宙を照らす太陽、万物の慈母と説かれるそうです。

 「おでいにさん」みんなを救ってください。合掌。

 背後に回ると、寶永歳の刻字がありました。宝永年間は1704~1711年です。宝永4年には富士山が大噴火をしています。富士山を向いてるって事は何かそれと関係あるのかな。 

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花や飲み物が供えられています。

  

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穏やかなお顔。眼下には盆地が。

 

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寶永歳と読めます。

 

 4.お地蔵さんみっけ 「おでいにさん」のすぐ上が櫛形荘。足場を組んで工事をしていました。ブルーシートはそのためだったのでしょう。

 その上が伝嗣院。南東の角には今までいったことがなかったけれど、お地蔵さんが二体ましました。頭巾とよだれかけが赤い毛糸の手編みでした。

 手編み。冬場はあったかそう。

 今回はしばた君には会わないで、田頭観音を拝んで帰ります。

 帰りは全て下り。楽ちん。

 

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手編みの赤いよだれかけです。